6.11デモ in 大阪。彼らの胸には手書きのプラカードが。3.11を経験し、ようやくわたしのDNAが目覚めたようだ。
もう人生の折り返し地点をとっくに過ぎてしまっているこんな歳でだ。
ひょっとしたら、あの日がなければわたしの本能はずっと、
目覚めなかったのかもしれないな。
わたしの父は学生運動から始まり、現役教職員時代から今に至るまで、
政治的活動をしている。
それと共に「九条を守る会」に所属し、核廃絶運動にも参加している。
子どもの頃は、何やらわからないデモや集会みたいなのに参加したり、
ビラを折ったり、挙句の果ては男性が拷問を受けている映画(何だったんだろう?)
に妹と共に連れられて行ったりもした。(怖かった事だけしか覚えてない)
そんな父は来年80歳になる。
彼は今も自筆で自分の感じたこと、学んだことを書き、それをコピーして
元教え子達に定期的に郵送している。(アナログ!)
そしてわたしにそれを「読め」と言わんばかりに押し付けるので、
そんな時はかわりに、このブログを彼にお見舞いしてあげている。
母は、栄養士の資格をもち、祖母が体調を崩すまでずっと病院で入院患者の
ための献立を組んだり、栄養指導をしてきた。
彼女は仕事の傍ら自宅で菜園をし、わたし達家族の健康を支えてきた。
わたしは中学時代、自分のお弁当が嫌いだった。
他の子たちはカラフルな色合いのお弁当だったのに、わたしのお弁当の色は
黒(ヒジキなど)や茶色のオンパレード。
今から思えば冷凍食品なんか入ってない、手間隙かかった愛情いっぱいの
お弁当だった。
よその家と比べると、ちょっと変わった家庭だったかもしれない。
若い頃は、そんな家を疎ましく思う時期もあった。
その後家を出て仕事をし、結婚して普通に生活を送っていた。
そんな平凡な生活の中で、わたしの本能はただ眠っていただけだった。
あの日以降、今現在わたしの中には、二人がわたしにくれたものが、
確かに目覚めた感覚をおぼえる。
不思議だなー。
今わたしは核の廃絶を望み、自給自足(菜園とニワトリぐらいかな?)
の道を開こうともくろんでいる。
ほんとに不思議。
なぜこんなことを思い出し、急に書きたくなったのか?
それは石田壱成さんのブログを読んだから。
→いつものコチラ彼が幼い頃、彼の母親やその仲間とともに四国電力に
抗議デモを行った時の過去の記憶。
読みながらまた久々に泣いた。
彼の文章力はすごいわ。
彼が原発反対を叫ぶのは母親の影響だったみたい。
山本太郎さんも同じく母親の影響だったって言ってたな。
親の力、DNAってやっぱりすごいなー。
徹(大阪府知事)が
教育基本条例案を出したが、教育の基本は家庭のはずだ。
あんな形だけのことを強制すれば、彼はいつかカダフィのようになるに決まってる。
歳とったのか、最近親を身近に感じます。
恥ずかしいけど、ここで言っちゃおうかな・・・。
どうせ見てないだろうし・・・。
「父、母!わたしにいいものいっぱいくれてありがとう!」
そしてそんなわたしの生き方に寄り添ってくれるNに感謝っ!
*島根原発の再稼動反対を求める署名を
コチラのブログでご紹介してます。
美味しそうなタイ料理の写真を眺めたあと、ご署名よろしくお願いします!
日本海まで汚されたら、魚も食べられなくなるのよー。
日本全国に拡散するかも知れない
「がれき情報」を
コチラで随時追加更新しています!
(8月11日、8月15日、8月18日、8月23日、8月24日追加更新)
脱原発講演会と映画「ミツバチの羽音と地球の回転」in 関西のお知らせ!阿倍野には、鎌仲監督も来られます!
→詳しくはコチラ署名お願いします!(ネット署名もできます)
「さようなら原発1000万人アクション」→詳細はコチラ呼びかけ人は音楽家坂本龍一氏、作家大江健三郎氏など
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- 2011/08/28(日) |
- わたしのこと
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脱原発

今日はわたしが原発に反対するようになった経緯を書きたいと思います。
タイトルは先日
コチラの記事でご紹介した小出裕章京大助教の本からの
パクリをひねらせて頂きました。(先生ゴメンナサイ)
では・・・。
フクシマの事故が起こる前から、もともとなんとなく反対は反対であった。
なんとなく・・・。しかし原発についてはほとんど言っていいほど
何も知らなかった。国内に54基あることさえ・・・。
そして3月11日津波とともに原発事故が起こった。
すぐに友人Kからメールが届いた。
「わたしは原発に反対するで!これに署名して。」
山口県に建設予定の上関原発反対の署名だった。
署名しよう、と思った。
震災後わたしは何もできない無力感とわけのわからない自責の念に
取り付かれ何かをせずにいられなかった。
そんなわたしにできることのような気がした。
そして署名するならきちんと調べないと・・・が始まりだった。
どうせするなら少しでも多くの人に署名してもらおう、
そしたら原発についてもっと調べて説明できるようにならないと、
と思い手当たり次第やみくもに調べた。
調べだすとわからない用語だらけで、まるで英英辞典をひく感じだった。
友人Kとの情報のやり取りが始まった。
空いてる時間はネットや本を読み、その日に知った驚くべきことは
帰宅した夫に報告し、毎晩二人で話し合った。
原発に関して夫と温度差がなかったことが一番の幸運だった。
(その他のことに関しては温度差だらけ・・。)
そんな日の繰り返しの中、ネットで小出裕章先生の論文を見つけた。
原発がなくても火力発電で充分電力はまかなえるというものだった。
見つけたときは嬉しかった。
たまたまKも先生の別の論文を見つけて送ってくれた。
この人は信頼できそう・・・と思い図書館で本を予約しようとしたら、
先生の一番新しい本はすでに50人ぐらい待ちでいまだにこない。
それで20年前の著書「放射能汚染の現実を超えて」から読み始めた。
このブログで一番初めに紹介した本である。
序文が泣けて泣けて前に進まない。
今までのわたしの生き方くらし方を深く反省させられる文であった。
そして先生について調べようと思ったらどなたか親切な方が、
ネット上で先生の発言されたものをまとめてくれている。
「小出裕章 非公式まとめ」。今でも毎日チェックして勉強させてもらっている。
管理人さんありがとう!
調べれば調べるほど、原発で生まれる電力には一つとしていいところがない。
一番の欠点は「原発には放射能が付きもので、人の命の引き換えなしには
生まれない」ということだと思う。
また調べれば調べるほど、今までよくこんな危険なものと共存していた
(共存している)なと恐ろしく感じる。
そして原発の恐ろしさを知れば知るほどわたし自身の予想寿命も
どんどん縮まっていくのである。(長生きするタイプと思ってたのになー。)
いつも言葉足らずのKが言う。「どうせ死ぬんやから!」
たぶんこの意味は「どうせ人はみんな死ぬのだから他人になんと思われようと
自分の信じることをすればいい。自分の気持ちに正直に。」ということだと思う。
ちゃうか?K。
このブログを始めたきっかけはわたしが知った事実を
一人でも多くの人と共有したい、という気持ちからであったが、
文章を書くことで頭や心が整理されることを知った。ビックリ。
できるだけ続けていきたいと思う。
「一日でも早く日本からいや世界から原発(核)がなくなりますように。」
わたしの拙い文章を読んでくださってる皆さま。
真にありがとうございます。
わたしをご存知でない方はひょっとして「大阪の妙な女」
と思われてるかもしれませんが、わたしはいたって普通の人です。
これからもわたしが知ったこと、感じたことをありのまま書いていきますので、
よろしかったらこれからもお付き合いくださいませ。
最後にわたしをご存知でない方のために、
わたしを少しでもイメージしやすいよう今日の写真は、瑞々しく清楚で可憐で
気品があり、枯れてもなお美しい旬の紫陽花にしときました。
「6.11 脱原発100万人世界同日アクション!」のご案内→詳細はコチラ福島の子ども「20ミリシーベルト」基準の即時撤回を求める署名にご協力お願いします!
(第二段)→詳細はコチラ 前回署名された方も是非!
- 2011/06/02(木) |
- わたしのこと
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脱原発