大阪市で、放射性瓦礫を燃やす可能性の一番高い此花区にある舞洲工場は、
オーストリア出身のフンデルトヴァッサーというアーティストがデザインしました。
先月施設見学に行ってそのデザインのすばらしさに感銘を受けました。
また彼は反原発活動もされていたようで、上の写真はフンデルトヴァッサーが、
ワシントンのラルフ・ナダールと彼の反原発運動を支援するために制作された
ポスターをポストカードにしたものです。(特別に手に入れることができました)
このポスターは、オーストリアとドイツでも反原発・脱原発に貢献しました。
彼は筋金入りの反原発論者で、1981年にオーストリアの文化勲章のようなものを
受章したときにも、ガンガンに反原発スピーチをしたようです。
以下は反原発ポスターとその解説、および反原発スピーチの原稿です。
少し長いですが、とてもいい内容です。
一部抜粋・・・
「一本の木を倒すのに、5分とかかりません。しかし、一本の木が生長するのには50年かかります。
これは、技術畑の官僚が破壊する行為と、生態系の構築の関係とだいたい同じです。
技術畑の官僚たちの支離滅裂な行為は、癌細胞であり、生態的に解体するしかありません。」
フンデルトヴァッサーは12年前に他界しましたが、自分がデザインした焼却場が放射能で汚染される
かもしれないことを、きっとあの世から出てきて反対したいことでしょう。
お知り合いに芸術好きな方がおられたら舞洲工場の危機を是非伝えてみてください。
PLANT TREES ・ AVERT NUCLEAR PERIL (樹を植えよ―核の危機を回避せよ) フンデルトヴァッサーは、この反原発ポスター「PLANT TREES・AVERT NUCLEAR PERIL(樹を植えよ―核の危機を回避せよ)」をワシントンでのラルフ・ナダーのCritical Mass Energy プロジェクトのために寄付した。
1980年11月18日にマリオン・バリー市長が呼びかけ、ワシントンで開催された「HUNDERTWASSER DAY」の際に、100本のうちの最初の12本がJudiciary Squareに植樹された。
このポスターは、その後数年の間、様々な反核キャンペーンに使用され、それぞれの市民団体が販売による利益を得ることができた。
1980年11月18日にフンデルトヴァッサーがこのポスターを寄贈したときに行ったスピーチ
(編集の都合上、訳者によって改行が変更されています)
オーストリアは原子力発電所の稼働を国民の決定によって拒否しました。私たちは、この決定を確固たるものとしなければなりません。なぜなら、国際的な原子力ロビーは、まるでマフィアのように、この決定を受け入れないように働きかけているからです。彼らは、何としてでもこの決定を覆そうと企てています。
アメリカは世界の模範です。アメリカのライフスタイルは世界中に浸透しました。不幸なことに、この「American Way of Life」は考えなしのエネルギー消費をも意味するのです。ですから、アメリカは罪の意識を持たなければなりません。他のすべての国々に新しい規範を示すことは、アメリカの義務なのです。そして、この新しい規範こそ、核エネルギーなしで真の人類の発展を遂げることです。
アインシュタイン曰く、「公式が美しくなければ、その公式は正しいはずはない」のです。合理主義者や、技術畑の官僚、機能主義者たちは、これとは正反対のことを唱えてきています。
100年前の最初の技術的な設備は、まだ非常に質素なものでした。馬車の代わりとなった車、機械、エレベーター、電話、ガス灯、地下鉄や市電が地上に出てくる技術などは芸術作品であり、今では博物館に納められているものばかりです。当時の人々は、技術的な合理性というものは罪であるということを知っており、そのため芸術をその隠れ蓑としたのです。今日では、私たちは合理的な技術の勝利を目の当たりにしています。それは無であるにも関わらず。美的な空虚、単一的な砂漠、殺人的な精神の不毛、創造的な無能。自然の法則と植生に則り、宇宙の循環と調和しながら生きる者だけが道に迷わないのです。この法則に逆らうものは、傲慢によるものであろうと、隷属によるものであろうと破滅に加担しているのであり、自らも破滅するのです。
人間は、幸せであるために表面的な豊かさは必要ありません。必要なのは、内面的な精神の豊かさです。人間は、幸せであるために機械的なエネルギーは必要ありません。必要なのは、創造的なエネルギーです。今日の人類は、これまで地球に存在していた中で最も危険な害虫です。人間は、生態系からかけ離れた害虫となってしまいました。地球が再生するためには、人間を生態系の柵の中に戻すような完璧なエコロジーが必要ではないでしょうか。
私たちはエネルギー危機に見舞われているわけではありません。あるのはただ、意味のないエネルギーの浪費だけです。人類が法外に、理由もなくエネルギーを消費する行為も、それなりの責任意識のある創造的な知性に相応しい行為だと言えればいいのでしょうが、現実はそうではありません。
人間は、馬鹿な動物の群れであり続け、突然精神の異常をきたしたかのようにエネルギーや毒やその他の殺人の道具を大量に手に入れ、それらを途方もなく浪費したり、あるいは環境の破壊や自分の兄弟たちを滅ぼすために容赦なく使ったりするのです。そして、欲望に駆られながら、人間はーこの馬鹿な動物の群れはーさらに多くのエネルギー、さらに多くの毒、そして、さらに多くの殺人の道具を手に入れようとするのです。
人類は、とりわけ所謂専門家たちは、エネルギー推進をもはやコントロールできなくなってしまいました。彼らは、自分たちが一体何をしているのかが分らなくなってしまったのです。
原子力ゲームは危険なゲームです。死をともなう軽率なゲームです。どこかで想定を超える事故が起きることは確実なのです。ガラスやセメントやその他の覆いでできた核のゴミの密閉容器から放射能が漏れだすことは確実なのです。ロシアン・ルーレットのようなものです。それは、私たちが思いもよらぬ瞬間に起こるのです。
核のゴミを安全に隠したり保管したりする場所はありません。見た目では当面地震が起こらないとされる場所でさえ安全とは言えません。戦争や爆弾、ブルドーザー、地震や断層のずれが全てを無に帰するのです。この地球と宇宙に静止状態のものなどありません。すべてが流れているのです。
インカ帝国やカルタゴ王国の遺物がどこに埋められているか知っていますか?それは、たった2000年前のことなのです。祖母が金貨をどこに隠したか知っていますか?それはたった50年のことなのです。核のゴミは、50万年もの間、すべての生命を死の危険にさらし続けるのです。核のゴミを密閉した最初のコンテナは、20年前に海底や地中に埋められたばかりだというのに、すでに浸食され、放射性物質をまき散らしています。そして、私たちはこのコンテナがどこに隠されたのか分らなくなってしまっています。核のゴミは、美しい遺体のように埋めてはなりません。核のゴミは土に還らないのです。密閉された核のゴミの容器は、時限爆弾です。必ず爆発します。原子力発電所をひとつでも無くすことは、生存のチャンスをひとつ増やすことです。
政治家や学者が、短期的な利益やキャリアを考えて、私たちに核エネルギーは永遠に無害だと保証するとすれば、それは犯罪的な嘘です。オーストリアは、核の力という権力に目がくらんだ一握りの学者の意見と関わらなくてもよくなりました。中央でエネルギーを統括すれば、人間にとって必要以上の自動化が進みます。結果は失業です。核エネルギーは経済の破滅です。わずか1パーセントのエネルギーが、自然と人類の破滅との危険なバランスの上に成り立っています。そしてそれが、失業や、常に死の危険と隣り合わせの生活、迫りくる汚染や人権の損失、ふるさとの喪失よりも比重が重いのでしょうか。
核エネルギーは、見せかけのエネルギー危機に見せかけの解決を短期的に見出すだけだということを私は主張したいのです。時間が経つにつれて、私たちは自分たちのしていることが如何に広範囲に危険を及ぼしているかを認識するでしょう。そして、前には見えなかった新しい問題が、ますます高くつき、ますます危険な代償を要求することに気づくことになるでしょう。その範囲を認定するには、私たちの経験則はいまだ小さすぎるのです。技術者や学者、専門家が私たちを、自分たちでも解決できないような予測不可能な危機へと導くならば、それは見逃してはならないことです。しかしながら、私たちは、自らが理解できない、生命を危険にさらすようなモノに依存するようになるのです。そして、それが私たちの破滅なのです。
残念です。
私たちは、またしても戦時中であるかのように生きていかなければなりません。人類は、慎重に、自分で考え、慎ましく生きなければなりません。盲目的に浪費してはいけないのです。人間は、循環が機能するように心がけなければならないのです。幸せであることは、豊かさとは全く関係ないことなのです。生産とは全く関係ないことなのです。
一本の木を倒すのに、5分とかかりません。しかし、一本の木が生長するのには50年かかります。これは、技術畑の官僚が破壊する行為と、生態系の構築の関係とだいたい同じです。技術畑の官僚たちの支離滅裂な行為は、癌細胞であり、生態的に解体するしかありません。
これは長い道のりですが、これしか方法はありません。
自然の法則に関する知識を伴った創造的な精神のみが、私たちが辿ってきた状況を生態的に克服することができるのです。工業的な発展の考えでは、まず無理です。いわゆる発展は、破滅への歩みとなってしまったからです。
生き延びるためには、手を引くしかないのです。
(翻訳:桂木忍)
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2012/04/10(火) |
がれき
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脱原発